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Posted by 滋賀咲くブログ at

2009年02月25日

蕎麦が食べたい

最近、美味しい蕎麦を食べた事がない

草津の美味しい蕎麦屋さんに、行った事がない
大体がうどん屋かラーメン屋が多い

私にとって、お気に入りのお店は、
やっぱりにおの浜バス停近くの渚庵かな

温かいお蕎麦よりも、冷たいお蕎麦が好きなので、皿そばは私にはうってつけなのだ

最近、渚庵には行ってないな

確か、去年の5月のきき酒会が催しされた頃に1人で行ったきりだと思う

膳所駅近くには、
知り合いのママがいるので、たまに行くけど、
わざわざにおの浜まで歩いて行くだけの気力がなく、駅前近くのお店で食事に立ち寄る事が多い


元気もりもりさんが、もうすでに常連さんとなったお店なので、私も久しぶりに顔を出したい


土曜日が天気がよければ、大津駅か膳所駅に行ってみようかな

膳所のママのお店は11時からだから、
早めに大津駅で降りて、歩いてみようかな

お昼は渚庵で食事して、昼からゆっくりママのお店に寄るのもいいしね

ただ、今日みたいな天気では、ちょっと歩くには無理かもしれない

土曜日だけでも、お天気が回復してくれたらいいのにな


ああ、皿そばが食べたいな  


Posted by フーミンママ at 09:11Comments(3)

2009年02月25日

私の職歴 後半2

先ほどのブログが短文だったので、これで最終回にするつもり?です


ちょうどうどん屋さんが閉店された時期に、
金チャンの知り合いの方の店が、人手不足という事で、草津の平和堂内のあるテナント店舗に勤めだした

それが、一年半ぐらい前になる

そのお店は、画材、額縁を売る専門店だ

金チャンは、中国の美大卒の芸術家でもある

その事もあり、その店のオーナーとも面識があったのだ

私は絵の知識もセンスもないままに、レジと値段付けの仕事をこなすのが精一杯だった

周りは美大出身の方や、絵が好きな方がお客様として来られる

私に絵の知識がないだけに、苦労はあった

馴れだした頃に、一年が過ぎ、
その頃にひどいギックリ腰が再発した

私は、自分の退き際を感じた

私なんかより、
絵に興味のある人や、
勉強をしたい人に働いて貰うべきたと思った

ちょうど悩んでいた時に、金チャンの店が近くにオープンした

私は自分の休みの時に、金チャンの店を手伝うだけで終わろうとしたが、不器用な私には掛け持ちは無理だった


オーナーに相談して、金チャンの店を手伝う為に、画材店を辞める事にさせて頂いた

金チャンの知り合いでもあるオーナーは、金チャンの息子も可愛がり、いつも面倒を見て下さっている

そして、金チャンの店の成功を祈っている人の1人である

私を快く、金チャンの店に送り出して頂いた事には感謝せずにはいられない



何かと職歴を重ねた私だが、私自身仕事運がないと考えていた


しかし、今となってはいろんな事が勉強になって、プラスになった


土曜日にお出会いした夢咲さんにも、
その経験は通り過ぎないといけないノルマであって、
今に繋がり、今後の私の力となりつつあると、お話して頂いた


私も、それは気づいていて、今の仕事に繋がっていると思う


何より、人の縁もあって、草津の商店街にいられる事に感謝してる


今は仕事に行くのが楽しく、いろんな方に出会い、お話するのを楽しみとしてる

毎日、いろんな方のパワーを頂き、まだまだ勉強をしていかなくてはいけないと思う、フーミンママです

三回シリーズになり、申し訳なかったです

お付き合いしつ頂いた、根気ある方、本当にありがとうございます  


Posted by フーミンママ at 01:55Comments(4)

2009年02月25日

私の職歴 後半

すいません

携帯投稿していて、制限があるのに、気づかずに、適当に打ち込み、送信したら、文章が尻切れトンボになっていました
ごめんなさい

よかったら、続きを読んでくださいね


クリーニング店のパソコンレジを指導してくれた年下の先輩は、先日金チャンの店で偶然にも再会したのである

お互いが元気やったか?と声をかけあったのである

その後、クリーニング店も半日仕事なので辞めてしまった

フルタイムで働く派遣仕事に切り替えたのである

最初は京都までの通勤だったので、おばちゃんは京都までの定期券を握りしめて毎日通勤をしたのだ

独身時代でも草津までの通勤だったので、おばちゃんは京都までの通勤が嬉しかったのだ

同じ年代ぐらいで働く人達と、子供も同年代という事もあって、仲良く楽しく仕事が出来た

守山に工場が完成してからも、付き合いは続いた

しかし、派遣の期限は一年で切れた

今でも、その時の仲間とは食事したりしている

その後、地元自宅から三分ぐらいのO酒造に勤めた

しんどい仕事の連続で、私にとっては、地獄のような試練だった

職場に屋根があるだけでも有り難い思うようになった

短期の仕事である意味、ほっとした

年明けからは脇本陣でうどん屋さんで働いた

今の金チャンの店で仕事に馴れているのも、ここでの仕事が活かされたと考えている

同時期に膳所のシニアステーションでセカンドライフサロンのスタッフもこなしていた

元ホテルマンの方に指導して頂いたり、リタイアされた方々のお話を聴いたりするという、私にとっては勉強の場であった

うどん屋さんは私が働いて一年もしない間に、閉店と相成ったのである
しかし、その時の常連さんとはお付き合いは続いている  


Posted by フーミンママ at 01:19Comments(0)

2009年02月25日

私の職歴 前半

私の職歴と言っても、それほどたいしたものでもない

高校三年生の就職試験で、面接官に
「定年まで働くつもりでいます」
と、話した私が、
同期の中で一番に寿退社をした有り様

今は、あまり寿退社なんか言わないか

女性が結婚、出産でお目出度い理由で退職することなのだ

今は男女平等の下に働いているし、まして生理休暇なんか廃止されているのかな

私は、たとえ辛くても、申告するのが恥ずかしくて、生理休暇なんか利用したこともなかった

丸々三年も働かずして、結婚した私

たまたま連れ合いが、
同じ会社の違う場所の工場に勤務していた

遠距離恋愛で、広い意味での社内恋愛

うちの会社は、30年前は周りにこれといった建物もなく、一つの村社会的な場所にあったので、必然的に社内恋愛も多かった

今でこそ、大学生が多くなり、学生街に変わろうと変化しつつある


結婚後、子育てで家にいた

上の息子が小6、娘が小4、下の息子が小1の時に、初めてパートに出た次第

私が34歳の時だった

住まいの近くに、ジャスコがあったが、近所の人に知られるのが嫌で、あえて自転車で15分ほどかかる、F市の市場に働きに出た

私より若い人は何人かいたが、朝3時から働いていた

私は、9時から17時までの勤務だった

一年間働いたが、
茅ヶ崎に引っ越し、通いきれないので辞めた

茅ヶ崎では、近所のお茶屋さんで、茶揉みから、お茶のパック詰めを機械を使いながらこなした

その当時、O157が流行り、お茶が効果があると言われ、今までにない忙しさだったらしい


茅ヶ崎は一年間しか住まずに、草津に引っ越し

それが12年前

最初、草津に来て働いたのは、地元のおしぼり、リースマットの会社

三年ほど事務をしたが、半日仕事だったので、意を決して辞めた

その後に、駅前の近鉄百貨店の青果店に勤めた
F市の市場で働いた経験もあり、まだ百貨店という綺麗な職場もあり、二年間勤めた

ただ、大きな冷蔵庫(野菜を貯蓄する倉庫)のそばで、仕事をしていた為に、冷え症がひどくなり、ぎっくり腰から体中の視神経がおかしくなり、辞めざるを得なかった

二年間、体力的にも精神的にも落ち込み、いろんな病院、診療所、検査をしたが、医大ではホルモンのバランスが崩れているとしか診断されなかった

今でいう、未病の状態で、まだ更年期には早いが、冷え症から始まる段階であったのだ


ちょうど4年前に金チャンに出会い、その時分に、駅前商店街のクリーニング店にパート勤めを再開した

店のレジが、今風のパソコンレジで、40才過ぎて、おばちゃんは固い頭を屈指してひたすら詰め込んで必死に勤めた  


Posted by フーミンママ at 00:41