2011年03月17日

頭が痛くなる日でした

今日は、雪が吹雪いていて、また冬に逆戻りかと思う程でした

明日の予約も入っていますが、間近になって、キャンセルになる場合も多いので、多分、私は夜に入らなくてもいいと思います


朝から、実家の母と息子のやりとりで板挟みになっていた私


息子の返信メールが入り
昼間は、結婚式の打ち合わせに行くから、実家には行かれない
もうどうでもいいわ


そんなメールを見た私は、腹が立ち、母に電話しました

もう、ばあちゃん
あんなバカ息子になんか祝いなんかすることないわ(怒)

せっかく、ばあちゃんが祝ってくれようとしてても、邪魔くさがっているようやから

あとで、みんな欠席するわと伝えるさかいに


と、母に、私は泣きながら、電話しました


母は

そんな事まで言わなくていいんやで


お祝い事というもんは、午前中にするもんやと、教えておかないとあかんしな

お前が腹を立てて、どうするんや


と、諌められてしまいました


とりあえず、嫁には電話を入れておきました


暫くして、嫁から電話が入ったので


体調に気をつけること

もう、招待状は郵送でいいから、そのようにして欲しい

など、話しておきました


ほんま、バカ息子は、親父そっくりです


よく、嫁さんが我慢して、ついていてくれるなと思います

惚れた弱みでしょうか


嫁の実家は、永源寺なんで、車を走らせたら、一時間ぐらいかかるのかな

私は、まだ行った事がないのでわかりませんが、実家が近すぎるのも、またあれこれもめる原因にもなるし、ちょうどいい距離だと思います


一キロも離れてない距離に、2人は住んでますが、私は、一度も、住まいに行った事はないです(笑)

呼ばれる事もないし、勝手に行く事さえもしてません


今日のいろんなニュースを見ていたら、滋賀県は福島県の被災者の方の受け入れ先となったとありました


私は、たまたま連れ合いが福島県出身で、親戚が関東から東北地方に住んでいます


亡くなった義母は、私の妹の結婚式に列席する為に、滋賀県に来ました


私ら夫婦の結納の為にも来たのを入れたら、二回だけ関西に来てます


昭和56年の6月と、昭和63年の11月です


長兄なんか、一度も滋賀県に来た事すらなく、亡くなりました


普通、東北人の方は、身内が転勤とか、結婚して関西に住んでいるとかないと、なかなか関西に来る事はないです


修学旅行で来たぐらいなもんだと思います


いくら避難する為にと言えど、東北からいきなり関西へ来るなんて、なかなか決心がつかないと思います


私らは、親戚がいるから、なんとか頼りあったりする気持ちもあります


もう、連れ合いの兄姉なんかとは、15年ほど会っていません


弟夫婦とは、私達夫婦がもめた時に、藤沢で出会っています

その弟家族は、千葉の柏に住んでいます


弟嫁も地元の人だし、親戚も千葉や茨城県近辺になります

茨城の兄は、婿養子なんで、兄嫁の親戚は、当然、茨城になります


娘が心配しているのは、姉家族です


福島の玉川空港近くにいますが、姉と、娘と小学生の孫との3人暮らしをしています

福島の南部ですが、もし避難するようになれば、息子が東京にいてるので、東京に来るかもしれません


東京が危ないとなれば、実の弟にあたる、連れ合いのいる、茅ヶ崎まで避難したらいいと思います

なかなか、関西まで避難される方は少ないと思います


気持ちとしては、長く生まれ育った土地を離れたくはないのが、本心ですからね


毎日の悲惨なニュースを目を背けたくなりますが、現実として、受け止めています

自粛しなければならないのは、山々ですが、それでは、私達の給料が入らなくなります


これ以上の不景気になったら、日本の経済は成り立ちません


派手にならない程度の生活は、続けていかないと、身も心も保たないような気がしてなりません


ちょっと頭が痛くなるような、そんな日でした



Posted by フーミンママ at 21:48│Comments(0)
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