まだ暗い朝に、携帯のアラームで目を覚ました私
最初の鳴りだしの音で、すぐに目覚めたが、間際まで夢を見ていた
どこぞの飲食店で働いていた私
昨日の、金ママの人件費カットの言葉があまりにも強烈だったのかもな
知らぬ間に、見知らぬ場所に移動して、プールやら、大きなランチュウがいる水槽があるお宅なのか、博物館みたいな展示会があるような場所にいたのだ
夢にしても、展開が突拍子な感じだと思いつつも、夢を見ていた私
ちょっと現実がキツいと、夢の中にさえも、現実逃避してしまうのだ
あの、毎日が争いの日々だった5年前の事を思えば、毎日が天国のように思える
顔を合わせれば、憎しみしか湧いてこなかった
20年以上も同じ戸籍に入っていたのに、気持ちは年数を重ねるほど、離れていったようだ
私は、3人の子育てをしていて、引越も何度もして、ストレスも重ねてばかりで、女としては、何の魅力もなかったかもしれない
たった3年間しかお勤めをしなかったから、世間の荒波のきつさも知らない、箱入り娘やったやと思う
でも、誰かと結婚したせいで、今までしなかった苦労は存分味わったと思っている
何の苦労もせずに、宝塚通いをしていた私
親の反対こそなかったけれど、婿養子を取る身でありながら、家を出てしまった私
もうこの時点で、親不孝をしてしまったのだ
そして、20年ちょっとしか、実質の結婚生活は保たなかったのだ
母には、未だに迷惑をかけている私
私がまた、あの引きこもりの2年間に戻らないか、偵察(笑)を兼ねて、うちにやってくるのだ
私が、あれ、鞄だ、靴やわ、あの服は可愛くていいなあと言ってる分には、まだいいのだ
何の興味も持たなくなって、またあの地獄を味わったら、家族みんなも、引きずり込んでしまうに違いないのです
やっと二年間、お店にいられて、ほっとした束の間、先の見通しはつかない私
何の甲斐性もなく、何をして食べていけるのかも、未だにわからない
そんな私も、もうすぐ50才であり、今日は金ママの誕生日でもある
6年間、そばにいてくれて有り難うと、お礼を言うつもりだ
そして、2年間お世話になりました
私は、来年から、どう生きていけばいいか、また悩みそうな日が、続くような気がするのでした