生きていくこと

フーミンママ

2010年12月07日 06:51

まだ暗い朝に、携帯のアラームで目を覚ました私

最初の鳴りだしの音で、すぐに目覚めたが、間際まで夢を見ていた


どこぞの飲食店で働いていた私

昨日の、金ママの人件費カットの言葉があまりにも強烈だったのかもな


知らぬ間に、見知らぬ場所に移動して、プールやら、大きなランチュウがいる水槽があるお宅なのか、博物館みたいな展示会があるような場所にいたのだ


夢にしても、展開が突拍子な感じだと思いつつも、夢を見ていた私


ちょっと現実がキツいと、夢の中にさえも、現実逃避してしまうのだ



あの、毎日が争いの日々だった5年前の事を思えば、毎日が天国のように思える


顔を合わせれば、憎しみしか湧いてこなかった


20年以上も同じ戸籍に入っていたのに、気持ちは年数を重ねるほど、離れていったようだ


私は、3人の子育てをしていて、引越も何度もして、ストレスも重ねてばかりで、女としては、何の魅力もなかったかもしれない


たった3年間しかお勤めをしなかったから、世間の荒波のきつさも知らない、箱入り娘やったやと思う


でも、誰かと結婚したせいで、今までしなかった苦労は存分味わったと思っている


何の苦労もせずに、宝塚通いをしていた私

親の反対こそなかったけれど、婿養子を取る身でありながら、家を出てしまった私


もうこの時点で、親不孝をしてしまったのだ


そして、20年ちょっとしか、実質の結婚生活は保たなかったのだ


母には、未だに迷惑をかけている私



私がまた、あの引きこもりの2年間に戻らないか、偵察(笑)を兼ねて、うちにやってくるのだ


私が、あれ、鞄だ、靴やわ、あの服は可愛くていいなあと言ってる分には、まだいいのだ


何の興味も持たなくなって、またあの地獄を味わったら、家族みんなも、引きずり込んでしまうに違いないのです


やっと二年間、お店にいられて、ほっとした束の間、先の見通しはつかない私


何の甲斐性もなく、何をして食べていけるのかも、未だにわからない



そんな私も、もうすぐ50才であり、今日は金ママの誕生日でもある



6年間、そばにいてくれて有り難うと、お礼を言うつもりだ


そして、2年間お世話になりました


私は、来年から、どう生きていけばいいか、また悩みそうな日が、続くような気がするのでした