ビンボー

フーミンママ

2009年05月27日 22:56

私が生まれたのは、恥ずかしながら昭和36年

またまだ普通の家庭は貧乏なお家が多かった


私が生まれた家は古い家で、普通にかまどがあり、ぼっとん便所もあり、井戸もあった


そんで、平屋だったのをかすかに記憶している

九時からテレビ番組に出ていた大家族ビンボーアイドルの女の子の
今までの生き様を放映していた


うちの娘と年頃が同じで、私の小さい頃と同じような生活水準ではつらいものがあったはず


両親が健在なのに、
大家族であるがゆえの貧困なんて、年頃の娘にとっては恥ずかしいという思いだけが残るだろ


私の実家は
小学生二年に私がなる頃には親の努力で
新しい家に建て替えた


その二年後ぐらいから、野洲には小林住宅の分譲住宅が建ち始めて、
クラスメートが何人も転校してきた


ちょうど大阪の万博が開催され、景気が上向きの時代であった


小学生高学年の時には、私ら子供部屋にテレビも置いて貰えるようになったのが嬉しかった


白黒テレビやったけど、フォーリーブスや郷ひろみの歌番組を見出したのもこの時期だった


給食費が払えないなんて親は一度も言わなかった

何でも買い与えるような親ではないけども、
母にカセットテープレコーダーを買って貰った時は、嬉しくて、
いつでも何でも録音していた私だった


中学生の頃には、気づけばクラスに何人かは
お家にピアノがあるような人がいた


私はそろばんを習っていたから、
ピアノが習いたいとか考えた事がなかったから、親に負担はかけてはいなかった


高校も普通に県立を目指し、合格したので、
野洲から大津まで通った


今となったら、定期代もバカにならなかったはず

国鉄だけじゃなく、京阪の定期代もいったからな

私が小学生の時から決めていた高校だったので、親は何も言わずに通わせてくれた


ありがとうという言葉しか出てこないわ


私はまだ電車の本数がある方やったけど、
私の高校の同級生は、
信楽や土山からも普通に通っている子もいた


本人も三年間通うのが大変やったやろけど、
その子を通わせる親の負担も大きかったに違いない


でも、それが30年前の話やしな



今は嫌な世の中になって、家のないホームレスや、ネットカフェ難民とか貧乏の暮らしをする人も普通に目にするような時代になってしまった


その反対に、豪邸に住み、別荘も持ち、
外車を何台も持ち、
お国に高額な税金を納めてくれる大金持ちもいるのも、現実だ


私は、昔みたいに、
みんなが普通に貧乏やった時代のがよかったな


それが、当たり前のような時代やったからね